縄文フィールドワーク
岩手へ行っていた。
早朝の目覚めとともに北上駅に着いた。
真夜中の移動は嫌いではない。
ずっと揺られ再び土を踏む時、心が躍る。
一瞬肌寒さが東北を思わせたが、それも束の間だった。
身体の中にはいつでも仕舞ってある温もりがある。
寒いと思うときは、それを忘れている。だから引出せばいい。
「慣れる」より、「慣らす」ことだ。
朝の光が眩しくなる頃、田んぼを抜け、樺山遺跡に辿り着く。
誰の姿もない古代舞台は、いつでも現世を飛び越えさせてくれる。
気がついたら、僕は知らない時代をただ歩いている。
ここは縄文時代中期にムラのあったところだ。
台地には竪穴住居が再現されている。
一段低いところには配石遺構がある。何に使われたものかは分からない。
だからこうして足が向かう。もう一つの引力に吸い込まれるように。
「古代とは何か」
そういう重大なことは、遺跡の中で考える。
家で本を眺めていたって匂いはしない。
人間にはまだ動物としての本能的な能力がある。
見る、聞く、触る、話す,歩く…
そうした身体を通過させる行為は、本能的に従うほどおもしろい。
更に行きたい場所への移動はヒッチハイク。
東北では冬も春も人との繋がりが上手くいっている。
今日、車を乗せてくれた姉妹と話をしていたら、さっき訪ねた資料館
で流れていた古代人の再現VTRで縄文人役をしていた姉妹だった。
そうか、産まれた家の先はもう遺跡だった訳だ。
知らない人だと思っていても、知人は案外近くに暮らしているものかもしれない。
途中、中尊寺へ寄り讃衡蔵にて神仏祈願。
夕方には岩窟に堂宇を構える、達谷窟毘沙門堂へ。
ここでは舞踊家田中泯氏、saxophone坂田明氏が公演を行うと聞いていた。
写真家平間至さんとも合流。
互いに佇む空気を呑む。
まるで古代の儀式のような一時間が過ぎる頃、太陽は沈んだ。
帰路持って来られていた、田中泯氏とその同志が共同生活を続けている桃花村にて
摘まれたばかりの新茶を買わせて頂いた。
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