朝の影、動くことのできない身体。

Tsuda Nao in Blog 2019.01.26

ある朝、一瞬にして風邪をひいた。1月14日早朝のことだ。

 

眠たい身体で立ち上がり、目覚めたところまでは、いつも通りだった。時計を見るつもりで、携帯を手に、ニュース頁を同時に見た瞬間、僕の身体は真っ逆さまに地面へと落っこちていった。いや、そんなことが起きるはずはないが、そんな気持ちになっていた。速報は、哲学者・梅原猛氏の逝去を伝えるものだった。目前は暗澹たる思いとともに、灰色に陰っていった。まだ、なにも、反応すらできていないのに、大切な何か=生きる力のようなものと涙が、一緒くたになってこぼれ落ちていくのが見えた。

 

夜の雨に打たれたように、

身体は冷えきっていった。

動くことができない身体。

押し寄せてくる、朝の影。

 

しばらくして、顔を洗い、シャワーを浴びて、朝食を摂ったけれど、何の味もしなかった。

 

7年前、京都で梅原先生とお会いし、対談を収録した日、最期に握手を交わした時の、あの、掌の厚みだけを、僕は思い出していた。それは、『芸術新潮』の縄文特集号のために組まれた対談で、担当の編集者から企画の依頼を受け、僕からの提案で、編集部の協力を経て実現したものだった。

 

あの日、僕は先生との対談前後の時間にも、いま足を運ぶべき縄文遺跡の数々や先生がアイヌの古老から聞いた話、岡本太郎の見た縄文について、さらには仏教の根源に在る思想について…など、たくさんの生きた言葉を直に聞かせてもらったのだった。

 

それらすべては間もなくして、僕の頭の中にある地図に、新しく書き加えられた。

 

梅原猛×津田直

 

悲報を聞いたその週、僕はアシスタントと今年の縄文フィールドワークはどこから始めようかと、新潟の地図を広げていた。ヒスイを巡る旅は、かつて先生も追いかけたテーマの一つだ。先生はかつて著書の中にこんな言葉を残している。

 

「ヒスイは白い石であるが、ところどころに緑色の部分がある。それは一面の雪の中から姿を見せ始めた緑のようである。その緑色には偉大な生命の力が込められていると雪国に住む縄文人は思ったにちがいない。緑色が生命を表すことは人類共通の思想である。緑を破壊して文明をつくった西アジアの人びとはどんなに強く緑の生命の木に憧れたことか。しかしそのような憧れにもかかわらず、緑は農業文明の発展に従って徐々に姿を消し、近代工業文明の出現によって急速に減少した。このような時代に緑を保全することは、人類が今後長く生きていくためにも必要欠くべからざる課題であるが、縄文人はこの白の中に緑を含む石であるヒスイを何よりも呪力をもつ宝石として尊重したのである」
(「日本の霊性」佼成出版社 刊)

TERUMO1

 

数日間の眠りの合間にも、僕の身体は次なる旅の計画を立てようとしているようだ。

自分でも呆れる。

身体は疲れきっているというのに。

 

TERUMO2

 

僕の縄文歩きは、今年もここから始まっていく。続いていく。

先生との今世での再会ができなくなったことだけが、ただただ悲しくて仕方がない。

だが、こちらも写真を纏めるにはもうしばらく時間が掛かることだろう。

だから、先になっても構わない。

何とか、先生の100歳の誕生日までには、縄文の歩みを形にしてみたいと思う。

先生、それまでどうか待っていて下さい。

必ず、お便りしますから。

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