言葉を杖に 水に潜る

Tsuda Nao in Blog 2011.01.15


新年を関西で迎えた。
大掃除を済ませ、口喧嘩をし、山に登り、幼馴染みと過ごし、
初雪を歩いて、神主に気になっていた言葉と由来を学び、子供達と転がり遊んで、
抹茶を頂き、古い写真を眺め、連載の文章を温め、横浜に戻ってきた。

戻ってみたらいつもの空があまりにもすっきりと見えたから、
年末に三鷹の小さなライブハウスで歌を聴いたandymori小山田君が歌う
「青い空」を窓に向かって聴いた。
生声を聴いて十日も経っていないから、顔がすっと浮かんだ。好い表情だった。
合わせてPredawnの歌を聴きながら机を片付けた。

散らかった場所で言葉をまとめたくはないから、
最近はまとめて字を書く時は大きな机の方で進めるようにしている。
だが、夜は必ず小さな机へ戻る。方角が味方すると仕事ははかどる。
それに太陽の満たす昼間と違って夜の作業は明かりが届く場所が
限られてくるから、歩き回り過ぎると道が逸れる。
火がすべてだった時代、人間は花のようだっただろうなと
ぼんやりと思いながら、ほどほどに明かりを消す。

仕事始めは10日にPIPPOで行われたポートフォリオレビューだった。
写真家の平間至氏とは昨年から様々な場所で対話を重ねながら交流してきた
間柄だが、今回は氏からお声掛け頂き、参加させて頂いた。
当日は事前に選考された参加者の作品を二人で講評するというもの。
13:00からはじまった午後の対話はあっという間に夜まで続いた。
言葉を探すのではなく、写真を見て、合わせ、混ぜた。
時に作者の言葉であり、平間氏の言葉であり、僕の言葉であり、鑑賞者の言葉で
あったものが共鳴し、ひとときの杖となって、最期は太陽のように沈んでいった。
写真の奥を見ることは、水に潜ることに似ている。
息が続く限りの時間がその時のすべてとなる。
沈黙も必要な場があった。
言葉は必要な数だけ並べるのが一番難しい。

だが冬の外気とは裏腹な一日となり、良かったと思う。
この実験的な試みは続けてゆく必要があるように思う。
平間氏の試みに今後も期待が膨らむ。

2011年もようやく始動しはじめたところだが、11日には連載の件で
次号へ向けてTRANSIT編集部と打合せ。
顔を合わせるだけで、やるべきことが見えてくる仲間達だ。
さっそく取り掛かる準備をせねば。
その他お知らせを一つ。
年末までの会期予定だったフランクフルトの展覧会だが、会期延長となっており
今週末まで観ることができるようだ。

澄んだ空を眺めていたら、また泳ぎたくなってきた。
音の届かない世界を潜って、水の向こう側へ辿り着くこと。
週が明けたら、泳ぎに出よう。

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