世界の断片と紙切れ

Tsuda Nao in Blog 2010.08.02
制作に没頭していたら、blogが久し振りとなってしまった。
最近は新作のプリント作業を進めている。

この課程は記憶が頼りのようにも思われるが、
実際はそんなことにはじまり終わる訳ではない。
もちろん旅先で脳裡に刻み込まれた色彩は再び瞼まで落っこちて来るが、
それは光と影のことで、再生には充たない欠片みたいなものだ。

ランドスケープとは、ここに在るものだけで築かれたものを指す言葉ではない。
いかにして現在は不在だとしても、その存在感を呼び戻すかに全てがかかっている。
究極に言えば、見えていない先まで光景が続いていないと、
ここに立ったもの以外の誰かを本当の意味で連れ出し、
歩ますことなんて出来ない。

だから写真をはじめた時から、自分の映した写真を静止画像だと
思って見たことは一度だってない。
例えたった一枚の紙切れを手に持っているだけだったとしても、
そこに時間の重みが混じっていないと、僕は写真と呼ばない。

カメラを構え世界を映したつもりではいても、いつだって写真が手に入る訳ではない。
紙切れだけが、僕らに届くことだってある。
でもそれが悪いかと言えばそうではない。
世界の断片を離さず持ち続けていれば、いつかまた繋がる日がやって来る。

捨ててはならない欠片を見過ごしてはならない。
僕にとって写真とはそういう世界のことをいう。

話は変わるが、つい先日お会いした写真家の上田義彦氏は写真集「YUME」
について語った際に、「写真を撮っているとき、このことを永遠にしたい
という思いがある。」と言われた。
更に、「見続けることの出来るものを撮っている。見ている。」
と話を続けられた。
どうやら新作にはそんな時間が仕舞われているようだ。

彼のことばは、僕とは違う意味を持つが、写真の先にある
「もうひとつの時間」について明らかに語っていた。

最近は偶然だが写真家と良く出会う。
少し前に友人の写真家・浅田政志君にも会って久し振りに話をした。
彼は嬉しそうに三重県美で開催した個展の展示風景を見せながら、
近作について話してくれた。
そして、パリの個展の話と展覧会を作ってゆくことについて熱く語ってくれた。
写真家の写真が、自ら生きていゆきたいともがいている。
そういう奴らの中から、すっと立ち上がる奴がいる。
そんな写真家の目は、なかなか生き生きとした目をしている。

同じ頃、海を歩こうと逗子駅で電車を降り歩いていたら、
改札を偶然共に潜った男が中平卓馬氏だった。
いつもの赤いベースボールキャップ姿。
いきなり太陽へ向かって走り去るように駆けて行った。

ここで一冊写真集を紹介しておきたい。
先日、家に届いた写真集「SOMETHING BEAUTIFUL MIGHT HAPPEN」。

島尾伸三氏とは昨年愛知県で個展をした際にトークイベントを
行った時からの付き合いだが、何とも愉快な中国旅行をする写真家だ。
留守と重なり展覧会は逃してしまったが、興味深い、気になる写真ばかりだ。
是非機会があれば頁をめくってもらいたい。
そしてこの謎多き作品集を解いてもらいたい。
ちなみに7日にいよいよオープンするポラロイドの展示
(横浜美術館アートギャラリー)にも島尾さん夫妻は参加している。
僕も久し振りに二人に会いにゆこうと思う。
話したいアジアの小ネタは山のようにある。

昨夜はこの短編ドキュメンタリー(「ヒマラヤを越える子供たち」・
監督MariaBlumencron/2000/ドイツ/29分)を観て眠った。

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